がんと闘った青年「学んで欲しい実話」

スカディ

2006年12月08日 23:58

これは「スカディ・天国からの手紙メッセージサービス」が生まれたきっかけになる青年と私の実話。

ある日突然、友人から変わった「相談と依頼」を受けた。夏の足音がすぐそこに聞こえる季節・・・。

自分の大切な友人が「強い頭痛で入院したが、見舞ってくれないか?」と言うのだ。  全く知らない青年だし、変な話だが何故かアッサリ承諾した。  私はアホでお笑い系だから、明るく前向きに励ましてくれると思ったようだ。

彼(仮名 高志)は友達からとても愛されている青年で歳はわずか二十歳である。     友人たちからの高志の評価は・・・
『へタレ(弱虫)』、『強がり』でした。  グループ同士の喧嘩などの時の彼の行動がいつも弱腰で喧嘩の止め役だったからなのか。 それでも友人同士で飲みながら「俺は強い!!最強」と言い張っていた。
そんな彼を皆大好きだった。

見舞う前に私は『彼は自分の病状を知らず、ちょっとした手術さえ済ませばすぐ治る程度の病気だと思っている』と聞かされていた。  しかし、皆口に出さないだけで脳裏に『脳腫瘍』という最悪のシナリオを危惧し、信じたくない思いでその不安に封印をしていた。   
だから私もみんなも一様に「不安」や「暗さ」を封じ、ごく普通の何ら変わらないふざけた会話を心がけ、そして高志はよく笑ってくれた。

私は当時37歳。 ふと思った・・・。「40前の男がこのままアホな話だけして笑わせていればいいのか?」・・・と。    そしてその時ふと、「明るくしているが本当は友達には言えない不安や”死”への恐怖があるのでは?」  「俺はオッサンやし、俺でよければいくらでもきくで?」  「後で笑い話にするつもりで家族や友達へ手紙書くなら、俺が責任もって預かるで」・・・  と言ってみよう。俺にしか出来ない役をしようと。
しかし、度々見舞いに行くもののその一言が切り出せず、毎回あほな話で笑って終わり・・・。  高志は変わらずよく笑い、必ず「もうすぐ治るから!」「そしたら飲みに行きましょ!」「余裕っす!」という。
その時の私の言い訳は『病気と闘っている人間に”もし死んだら”前提の話は治そうとする気持ちを折りそうで言えない』だった。   しかしそれは実は自分を美化していたに過ぎない事を後に気づく。

一度退院をした。 私は「ああ、要らん事言わんでよかった」と思った。 友達たちもとても喜び、家に毎日たくさんが押しかける。   心に一抹の不安をいだいたまま、不安を懸命に払拭するかの如く。

そして恐れは的中する・・・。

再入院・・・。   そして意識は退院前からは考えられぬほど遠くなっていた・・・。

2月・・・  運命のとき。 
彼は旅にでた。

葬儀の日は雨・・・。 決して激しくはないが、優しくない冷たく痛い2月の雨。 それは流れる涙とそっくりだった。
彼のご両親や友人たちの泣く姿を見て痛いほどの後悔をした。『なぜ彼に手紙の話をしなかったんだ!!』  『もしも恐れずに話し、彼が快く手紙を託してくれたとしたら、どれほどの大切な想いを紡げただろうか』  『何より彼自身が目を閉じる瞬間に彼をほんの少しでも救えたのではないか?』・・・と。

私は実は自分が「非常識な奴だ」と誹りを受けることを恐れ、自分可愛さに言わなかったんだと気づいた。 最低です。  私は最低・・・


・・・そして後日、何よりも驚かされることになる。

実は高志は知っていたのだ。 自分の病状も、そして恐らく駄目なことも・・・。
彼は自分が取り乱したり、投げやりな態度をとれば、自分を心配して見舞いに来てくれる「大切な友人達」が不安になったり、どう接したらいいか分からなくなると思った。
まさに自らの命が潰えようとしているにも関わらず、私達のつまらない話に『笑い』『喜び』『気遣った』

見舞い、励ましに行っていた私達全員が彼に「見舞われ」、「励まされ」ていたのである。

『へタレ』と呼ばれていた彼は、人として誰よりも”強く” ”優しく” ”信念”を持った本物の『男子』である。   
人が・・・男が・・・本当に持たねばならない覚悟や想いとはこう言うことなのではないでしょうか。

命が尽きる瞬間まで友を想い、自分一人ぼっちの戦いを貫き通した高志・・・。

私は誓う。   もう二度と恐れない。  自分が非難を受けようとも必ず、天国からの手紙を成功させてみせる!!
そしていつか、世界中の誰か一人でもいい・・・。
誰かのために、このサービスが役立ち、受け取った人が『優しく、暖かい涙』で心を救われる日が来るなら、恐れず止まらず突き進む。

私は想う・・・。 
一人一人が自分の中の優しい想いに気づく日、その人の『大切な人』はほんの少し幸せになれると。